☆炭鉱の島だった大島☆
ハマオです!
久しぶりに長崎へ帰ったが、バタバタで生まれ故郷の大島へは行けなかった。
大島は、今は九州本土と繋がる橋がかけられている。
関門橋より少し長く、九州1番の長さらしい。
私が生まれた昭和36年当時は、石炭がさかんに掘られていた。
大島も炭鉱の島である。
父親も、そこで働き、炭で真っ黒な顔して毎日帰ってきた。
島もけっこうにぎわっていた。
私が小学校にあがる頃、だんだん炭鉱の時代ではなくなってきた。
閉山が決まり、島を離れる人々が出てきた。
毎年、夏休みや冬休みに友達が減っていく。
そのたび、桟橋から船を見送りに行く。
別れのカラフルな紙テープが、船と桟橋を結ぶ。
小学三年の夏に私たち家族が島から離れる番が来た。
子供心ながら寂しい気持ちだった。
今では、この島は造船業で栄えているようだ。
◇◇◇◇◇◇◇落陽 吉田拓郎◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
♪しぼったばかりの 夕日の赤が 水平線から もれている
苫小牧発 仙台行きフェリー あのじいさんときたら
わざわざ見送ってくれたよ おまけにテープを拾ってね
女の子みたいにさ・・・♪